「天才」「スーパークリエイター」「行動力オバケ」。
Ninja DAOの創設者であるイケハヤさんがそう絶賛する人物、それが大海樹鈴(@Kirin_Omi)さんです。
Ninja DAOの根幹であり文化でもあるファンアートを積極的に広め、貢献者としてCrypto Ninja Master of fan artの称号を与えられています。
絵、マンガ、ボクセル、3D、プログラミングなど、スキルの幅がとにかく広く、やりたいと思ったことは即実行。気づくと新しいジェネラティブを始めている、なんてことも珍しくありません。
実はDAOの盛り上げ役かつ守護神の「ほんちいbot」の「ほんちい」を生み出したのも彼女なんです。
今回はインタビューを通じて、謎に包まれている「大海樹鈴、解体新書」をお届けします。
この記事でわかること
- 大海樹鈴が行動力をつけた経緯
- 三日坊主のメリット
- 「会社員以外」という働き方について
- Ninja DAOでファンアートが盛り上がる理由
大海樹鈴さん(@Kirin_Omi)
クリエイター。Ninja DAOアドミニストレーターでMaster of fan art。CNPプリンスアドバイザー。「ほんちいBot」のもととなる「ほんちい」の生みの親。(常に新しいことをやっていて実績が多すぎるので割愛)
家族に溺愛された幼少期。自我に目覚めてからはやりたいことに一直線
樹鈴さんは次々といろんなことに挑戦されていて、行動力のある人という印象があります。どんな風にして今の大海樹鈴になったのか、今日は深掘りしたいと思います!
ではまず子どものころのことを教えてください。
小学生くらいまでは、いつもボーッとしていましたね。末っ子だったので家族から溺愛されていて「世界ってすごいなぁ〜」という感じで、ぽやぽやしていました。
ぽやぽやって、今の樹鈴さんのイメージと全然違いますね。
でも中学生になって、急に自我に目覚めたんです。
中学2年生の正月に、学校の授業で「今年は本を100冊読む!」という目標を立てたら、それにのめり込んでしまって……。友達がしゃべりかけてくれる時以外は、ずっと本の世界に没入していましたね。
自我が出てきたって、やっと樹鈴さんらしくなってほっとしました(笑)。
そのころから目標を決めたら脇目も振らず一直線だったんですね。
飽きっぽくて、やろうと思ったら次々手を出しちゃうんです。
でも学生時代は一つのことを長く続けたこともあるんですよ。中学1年生のとき、当時所属していた科学部で、ある日急に「部長になりたい!」って思って。そこから先輩に根回ししまくりました(笑)。部長になることしか考えていなかったですね。
全力ですね〜。今の樹鈴さんの片鱗を見た気がしますね。
達成したいと強く思ったら徹底してやるんです。
漫画家になりたいと思ったときは手塚治虫作品を読破したり、深夜アニメを全部録画して見まくったりしましたね。
マンガはその頃から描いていたんですね。将来の夢は漫画家だったんですか?
いえ、中学生のころはよく変わっていましたね。でもクリエイティブな仕事という軸は同じだった気がします。
婚活目的で大学に??夫と同じ会社に就職、職場をチェック
大学はクリエイティブなことが学べる学部を選んだんですか?
それが高校生になってからは現実を直視するようになって、夢はいったん捨てて、お嫁さんになろうと決めました。それで結婚相手を探しに大学に進学しました。
え???婚活のために大学に行ったってことですか???
いやぁ、ほんとユニークですよね(笑)。
大学では婚活に励みつつ、ほかにどんな活動をしたんですか?
同じ学科の友達がサバイバルゲームのサークルを立ち上げたので、そこの副部長のようなことをしていました。戦闘ではなくて送迎とかカメラマンとか、裏方仕事がメインでしたね。
サバゲーは一時期めちゃくちゃブームになりましたよね!
よければ婚活の結果も……。
入学してすぐに告白されて付き合い始めた人がいたんですが、なんか物足りなくて……。刺激を求めて今の夫と付き合い始めました。
おぉ、成功したんですね!!!目的達成ですね。
大学卒業後は就職して、結婚に向けて準備もしていったという感じでしょうか?
それがちょっと特殊なんです。中学生のころから自分が社会に出て働く姿が想像できなくて、就職で悩んでいました。しかも4年生のときに大学を中退してしまって……。
夫はタクシー会社に内定をもらっていました。ただ私があまりタクシー会社にいいイメージがなかったので、「本当に彼が人生をかけられるような職場なのか、自分の目で確かめてみよう!」と思って、夫と同じタクシー会社に就職しました。
夫婦で同じ会社に入ったってことですか???
面白いですね〜!今の時代、学生が仕事を知るために企業でインターンをするというのはよくありますが、夫の会社を見極めるというのももしかしたらそれに近いのかも。
でも夫とは違う部署に配属されてしまったんです。入社前にそれを知って、入社を諦めようと思ったんですが、夫に「俺のメンツがあるから、とりあえず入社してほしい」ってなだめられました(笑)。でも結局入社して2カ月で辞めてしまいました。
そうだったんですね。その後は転職されたんですか?
大学時代、サバゲーのほかに自動車の運転部にも所属していて、そのご縁で自動車メディアで働き始めました。でも夫の仕事がハードだったので、2018年に私が退職してフリーランスになって支えることにしました。
会社に所属する不安、フリーランスへの興味。イケハヤさんに影響を受けて働き方を考えた
暗号資産やWeb3にはどういう経緯で関わるようになったんですか?
自動車メディアにいたときに、たまたま同僚がイケハヤさんの話をしていたんです。そこからイケハヤさんを追いかけるようになって、2018年の終わりに仮想通貨ブログを書き始めました。
2018年末というと仮想通貨の冬、というか極寒の時期ですね……。
大河内先生もすでに仮想通貨始めていらっしゃいましたもんね。あのときは本当に厳しかったですよね〜。持っていた仮想通貨が1カ月で10万から3万くらいに下落しました。
そんな状況でも業界からは離れなかったんですね。
私は仮想通貨というより、イケハヤさんの発信に興味があったんです。
昔から会社で働くことに不安があったので、フリーランスという働き方や自分で事業を進めていかれる様子には大きく影響を受けましたね。
確かに、イケハヤさんというと「NFTの人」というイメージを持っている人も多いと思いますが、もともとはブログの人なんですよね。地方移住とかフリーランスの働き方とか、そういう発信をされてましたね。
Web3に関わるようになったのも、イケハヤさんの影響ですか?
2018年に仮想通貨を触り始めた後、一時期、仮想通貨からは離れていたんです。でもたまたまTwitterでNFTプロジェクトの「Loot」が流行っているという情報を見て興味がわいて。そこからイケハヤさんのVoicyなどで、もう一度情報を追いかけるようになりました。
Ninja DAOにはDiscordが立ち上がった2021年9月に加入したんですか?
そうですね、私がNFTを知ったのは2021年の8月末で、最初はpajiさん(@paji_a)のコミュニティに入りました。その後NinjaDAOができたので、すぐに参加しました。
あのころ毎日新しい動きがありましたよね。樹鈴さんはどんな活動から始めましたか?
イケハヤさんが「ゲームがほしい」って言っていたので、プログラミングソフトのスクラッチを使ってCrypto Ninjaのキャラクターが巻物を投げ合うゲームを作りました。
え、樹鈴さんってゲームもつくれるんですか???すごいですね。
誰かのブログを見て、それを少しアレンジしてつくりました。フリーランスになってから時間があるときはいろんなツールを触っていたんですよね。
ほんと多才ですよね〜。絵もマンガもかけて、プログラミングもできちゃうんだもんな。
ファンアート文化ができたのは「イケハヤさんがオタクだから」
NinjaDAOが盛り上がったのは、たくさんの人がファンアートに参加したからだと思うんです。樹鈴さんはファンアートを流行らせた立役者ですが、どうしてファンアートに注力したんですか?
やっぱりイケハヤさんが「ファンアートに力を入れたい」という思いをお持ちだったからですね。
それにDAOでゲームをつくっていくためには、もっとクリエイターに参加してもらう必要がありました。別のコミュニティでマンガや小説をつくろうと動いていたんですが、思ったようにクリエイターが集まらず、なかなか進まなくて……。
でもイケハヤさんがファンアートをやろうと呼びかけたら、きっとクリエイターが集まる。「これに乗っかるしかない!」って思ったんです(笑)。
イラストが描ける人、アバターをつくれる人、いろんなクリエイターが続々と参加してきましたよね。あそこまで盛り上がったのはなんででしょうか?
やっぱりイケハヤさんが一番のオタクだったからだと思いますよ!
イケハヤさんってクリエイターのことを本当に大事にしていて、いつもすごい褒めてくれるんです。オタクだからクリエイターの気持ちがわかるし、褒めポイントもわかるんでしょうね。
なるほど!いや、その視点はなかったな。
確かに、みんな忘れがちですけど、イケハヤさんはめちゃくちゃマンガ読んでてオタクなんですよね。
「イケハヤさんが褒めてくれるから、頑張ってつくろう!」って思った人はいっぱいいると思います。
CryptoNinjaをつくった本人がキャラクターを愛していて、みんなにファンアートを描いてほしいと発信していた。みんながそれに応える形で、自然にファンアートが広がったんだと思います。
イケハヤさんはどんなファンアートも一点の曇りもなく大絶賛しますからね。
やっぱり他人を褒めるって、そんなに簡単にできることじゃないですよ。
ほんとそうですよね。その分析はさすがMaster of fan artですね!
三日坊主だから三日以上はかけない!思いついたら全集中
NinjaDAOに質問が届いています。「樹鈴さんのあふれるアイディアの源泉が知りたいです」とのことです。どんなときにアイディアが浮かんできますか?
本を読んだりアニメを見たり、何かしらインプットをしているときが多いですね。あとはお風呂に入っているときかな。
僕もお風呂とかマッサージのときは、頭がリセットされてアイディアがでてきやすいですね。今って常にスマホが隣にあるから、インターネットデトックスの時間って大事ですよね。
でも樹鈴さんはアイディアが浮かんだら即行動に移すところが僕と違うかも。ちなみに今は何を企んでいますか?
今やりたいことというより、すでに3日くらいかけてやりきったことなんですが、「忍者犯科帳」というマンガを作っていました。
昨年作り始めたものの途中で止まってしまっていて、たまたま今度開催するセミナーのスライドを作っているときに、「描きたい!」という衝動に駆られて、スライド作成を放り出して書き上げました(笑)。
3日で完成させるって、ほんとパワフルだな(笑)。
三日坊主なんですよ〜。だから三日以上はかけられないんです(笑)。NinjaDAOってコツコツ努力されている方が多いので、ドカンドカンと打ち込んで、すぐ次に行っちゃうのは申し訳ないですね。
いや、逆にそういう動きをする人ってコミュニティに必要だと思いますよ!
周囲が信じてくれたから飛び込めた。DAOに出版社をつくりたい
多くの人は「失敗したらどうしよう」って心配してなかなか行動に移せないものです。どうして樹鈴さんはそこで一歩踏み出せるんでしょうか?
私の場合、小さいころから家族に溺愛されて育っていて、何をやっても否定されることがなかったんです。だからそもそも失敗したらどうしようっていう気持ちはないんですよ。
なるほど、家族にやりたい気持ちを常に尊重してもらって、旦那さんにも自分の働き方を尊重してもらったからこそ、“行動力オバケ”の大海樹鈴があるんですね。
そうかもしれませんね。私の父ってすごい努力家なんです。東大を出て官僚になって、私が「退職したら一緒に本の装丁をやろう」って誘っても「どうしても大学教授になりたいから」って断って。そして夢を叶えて、春から大学教授になります。
ずっとその姿を見てきたから「コツコツ努力できない自分はダメだ」って思うときもありました。でもそんな父が、どんなときでも私のことを大好きでいてくれた。それが心の支えになりました。
素敵なお父様ですね。
実は、こうやってNFTの世界に飛び込めたのも父のおかげなんです。
私がお金のためにプログラマーになるって言ったら「ほかに自分にしかできないことがあるはずだ」って。当時は「何を言っているんだ」と思いましたが、そのすぐ後にNFTに出会いました。
あのときプログラマーになっていたら、NFTに没頭することはなかったと思います。
それってすごい大事なことですね。家族が自分を常に信じて応援してくれた。樹鈴さんはそれを素直に受け取って、純粋な大人になったんですね。なんかグッときます。
では最後に今後の目標を聞かせてください!
個人でもチームでも働ける、DAOワークという働き方を当たり前にしていきたいですね。
ほかにはライフワークとしてNinjaDAOの中に出版社を立ち上げたいと思っています。Ninja関連のIPだけで雑誌がつくれるようにして、一つの経済圏を作りたいな。
あとはクリエイター自身が稼げるようにするのはもちろん、クリエイターを応援した人も生計が立てられるように「推し活 to earn」を実践したいですね。
それはぜひ形にしてほしいですね!応援しています。
本日はありがとうございました!
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